群れ密度が飼育下マントヒヒの行動と唾液中コルチゾル濃度におよぼす影響

  • 種名:マントヒヒ Papio hamadaryas hamadaryas 
  • 場所:Bucknell University (アメリカ合衆国)
  • 目的:飼育空間の制限がマントヒヒの行動と生理におよぼす影響を探る

 

集団で暮らす動物にとって群れ飼育は必須です。一方で過密な状態におかれると社会的な不安定さや緊張が高まり、闘争リスクが増加する可能性があります。またその結果、ストレスと関連する行動や生理的反応の上昇をもたらすため健康面への影響も懸念されます。そこで、大きな群れで飼育されているマントヒヒにおいて、異なる社会的ストレス状態が、行動と生理に与える影響を非侵襲的に評価しました。生理学的指標としてストレスの影響を受けると知られている唾液中のコルチゾル濃度を、行動学的指標として霊長類において不安と関連するとされる自己指向性行動の頻度を測定しました。

 

調査ではBucknell大学で群れ飼育されているマントヒヒ19個体(0-17歳)のうち、10個体(1-6歳)を対象としました。屋外エリア(幅9m×奥行き11m×高さ4.5m)と屋内エリア(幅9m×奥行き6m×高さ2.25m)からなるコンクリート構造の飼育施設で、屋内エリアはさらに3部屋に分かれています。屋外エリアは砂利や岩などが敷かれ、スチール製の大きな構築物やブランコなどが設置されています。屋内の室温は22±2℃、湿度は30~70%に制御されていました。

ふだんヒヒたちはすべてのエリアを自由に利用できますが、一時的に利用空間が制限されることもあります。具体的には、冬季に外気温が7℃以下となり数週間にわたって屋外エリアが利用できなくなる “長期的制限” と、施設メンテナンスのため4日間にわたって屋外エリアが利用できない “短期的制限” です。

今回の研究では、このような利用空間の制限によって群れの個体が密集せざるをえない状況が、ヒヒの行動と生理的反応に与える影響について、行動と唾液中コルチゾル濃度の変化から比較しました。

 

唾液のサンプリングは,ポールの先端に香り付きの綿ロープを取り付けてフェンスの間からヒヒの方へ差し出す非侵襲的な手法で1サンプルあたり300μlの唾液を採取しました。採取された唾液はアルコール固定し-80度で凍結後,市販のコルチゾル酵素分析キットを用いて分析しました。

行動観察は週3~5回、9~17時の間に個体追跡観察法を用いておこないました。1セッションあたり10分間として対象の全個体をランダムに観察し、自己指向性行動(※霊長類の多くで一般的に不安と関連が強いとされる、スクラッチ・セルフグルーミング・身ゆすり・セルフタッチ)の頻度を記録しました。

比較は以下の2条件間でおこないました。①制限がない時期と“長期的制限”の時期 ②“長期的制限”の前・最中・後、 “短期的制限”の前・最中・後。

唾液中コルチゾル濃度については①と②,行動データは②についてのみ分析しました。

 

密集状態による生理的変化と行動変化はそれぞれ異なる結果となりました。唾液中コルチゾル濃度は、①と②のどちらの比較方法でも、また長期的および短期的制限のどちらの時期でも、密集状態の際に統計的に有意に高くなりました(通常時10μl/mgに対して制限時20~50μl/mg)。一方で自己指向性行動の頻度は、各々の制限期間の前・最中・後で有意な差は認められませんでした。

 

コルチゾルレベルの上昇は、社会的なストレス下(密集状態)でホメオスタシス(生理的な恒常性)の維持のための代謝コストが大きくなったことを示しており、つまりヒヒたちの生理的ストレス反応を増加させたといえます。一方で行動データの分析からは、予想に反し、密集状態と行動的ストレス反応との間に明確な関係性は見いだせませんでした。この点については先行研究においても、コルチゾル値と自己指向性行動が必ずしも正の相関を示すわけではないことや、相反する傾向になりうることも示されています。また,密集状態におかれたヒヒたちは社会的不安定さを回避する戦略として、自己指向性行動を増加させることよりも、周囲への注意を高めたり親和的サインを増加させるなど別の行動に従事した可能性もあることから、将来的にはこのような相反する行動も評価に利用できるかもしれません.そのため、社会的ストレスを調べるための指標としては、自己指向性行動の測定だけでは必ずしも十分ではないかもしれないと著者らは述べています。ただしこの研究は比較的若い個体を対象とした結果であり、この結果について一般化し難いとも懸念しているようです。

 

Brandon, L. Pearson et al. (2015) American Journal of Primatology, Vol.77 pp.462

Crowding Increase Salivary Cortisol but Not Self-Directed Behavior in Captive Baboons.

(橋本 直子)

 

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