飼育下オオカミにおけるトレーニングとエンリッチメントの選好性評価

  • 種名:ハイイロオオカミ [Canis lupus] ・ホッキョクオオカミ [Canis lupus arctos]
  • 場所:ブッシュガーデン(アメリカ合衆国バージニア州)
  • 目的:訓練された行動とエンリッチメント刺激への選好性を評価する

正の強化手法を用いたハズバンダリートレーニングならびに環境エンリッチメントのどちらも動物福祉の観点から重要で有益であるということはよく知られています。しかし、トレーニングがエンリッチメントとしての機能をもつかどうかという議論も多々あるなかで(例えばMelfi, 2013など)、トレーニングよる行動の表出と、エンリッチメント刺激に対する行動の表出のどちらがより動物が好むのかということを体系的に比較した調査はありません。

今回ご紹介するのは、動物園で飼育されているオオカミに対して、対刺激提示手法(動物から同一の距離に二つの刺激が提示され選択できる)を用いておこなわれた選好性評価の研究です。さらにトレーニング内容に対する選好性を比較するにあたって、この手法が効果的かどうかも検討されています。


 

対象となったのは、ブッシュガーデンパークのWolf valleyで飼育されているハイイロオオカミとホッキョクオオカミの計4個体です(3-12歳)。それぞれの個体は毎日トレーニング(以下、PRT)に従事しており、さらに飼育施設にはさまざまなエンリッチメント(以下、EE)があります。

 

選好性評価の実験は、それぞれ1個体ずつ放飼場でおこなわれました。実験では4つの刺激(PRT: Paint/ Station, EE: Tire/ Boomer Ball®, 詳細は以下)のうち2つを対にして提示し個体ごとの選好性を調査しました。刺激はランダムな順序で提示し、すべての対の組み合わせと配置を1回ずつとしました。それぞれの刺激を選択して得られる餌はすべて同質同量の餌(Natural Balance®)でした。

 

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※選好性評価に用いられた4つの刺激と選択の基準

<PRT刺激>

Paint : 訓練者が段ボールを持って切り株の後ろに立つ。対象個体が訓練者の正面1メートルで3秒間静止したところで選択したと評価し、訓練者は段ボールを広げる。対象個体がジャンプして切り株に乗り前肢を段ボールに乗せると、基準をみたし餌が与えられる。

Station : 訓練者が切り株の後ろに立つ。対象個体が訓練者の正面1メートルで3秒間静止したところで選択したと評価し、訓練者は”up”と声を出す。対象個体がジャンプして切り株に乗り訓練者と目を合わせて座るあるいは立つと、基準をみたし餌が与えられる。

<EE刺激>

Tire : 15インチのタイヤが放飼場の床に置かれ、タイヤの内側には餌が隠されている。3秒以上タイヤに交渉したところで選択したと評価する。

Boomer Ball®: ブーマーボールが放飼場の床に置かれ、穴の中に餌が隠されている。3秒以上ブーマーボールに交渉したところで選択したと評価する。

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 選好性評価では、個体ごとに異なる結果でした。ある2個体ではEE刺激よりもPRT刺激(特にPaint)が100%と83.33%で好まれ、一方で他の2個体ではEE刺激の方が多く選択されました。対象個体全体では、PRTとEE刺激との選好性に有意な差はありませんでしたが(χ2=0.083, P=0.773)、個体ごとでは、Maという3歳の1個体のみ有意に高い割合でEE刺激を選択しました。

 

 PRTとEEのどちらの刺激が好まれるかという点について、今回の実験では個体ごとに異なる結果となりました。

 

 PRTがエンリッチメントになりうるかという疑問に対して、少なくとも本研究の対象個体にとっては、PRTと比較しEEの排他的な選択はなかったことから”Yes”と答えられるでしょう。さらに、アメリカ動物園水族館協会(AZA)がエンリッチメントの定義の一つとしている『動物がトレーニングセッションへ自発的に参加する』という前提に基づくならば、今回の調査では動物による選択の機会を増加させることができたと言えます。

 

 ただし、PRTへの選好の要因が、人間とかかわること自体への選好なのかあるいは特定の飼育者への選好なのかという点についても、今後は調査が必要です。

 

 さらに今後の展望として、それぞれのEEへの選好性がその効果に反映されるかどうか調べることも重要です。つまり、動物にとって選好性の強いものが効果的なエンリッチメントであるという見方がありますが、果たして高い選好性が常同行動の軽減や種特異的な行動の増加をもたらすのでしょうか。この点に関して、今後はEEだけでなくPRTにおいても、セッション以外の時間帯の全体的な行動への影響を調査する必要がある、と著者らは述べています。

 

 最後に、本文中に記述はありませんでしたが、オオカミという動物種は家畜化の歴史的経緯を鑑みると、少なからずPRTの選好性に影響をおよぼしている可能性があります。さらに、人工哺育といった生育環境の背景もまた同様と考えられます。動物種や生育環境の違いによるPRTへの選好性の差異を理解することは、個体福祉を高めるにあたっての基礎的情報として有用かもしれません。

 

(橋本 直子)
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